奈良県でソフトウェア開発・Webサイトの運営をしているフリーランスのエンジニアです

ロジカルアーツ研究所

運営者情報

ロジカルアーツ研究所について

運営者略歴

1989年 神戸大学理学部地球科学科卒業
1991年 神戸大学大学院理学研究科物理学専攻(修士課程)修了
1991年 シャープ株式会社入社
2001年 シャープ株式会社退職
2002年 フリーランスでソフトウェア開発を始める

これまでの歩み

フリーランスとして誇れるような実績が何もないので、ご挨拶代わりに少しだけ自己紹介でもさせていただきたいと思います。本当にカッコいいことが一つもない、泥臭く失敗だらけの人生です。読んで下さる方は私のカッコ悪い話にお付き合い下さい。

大学に入るまでの話は別にどうでもいいので省略します。大学と大学院で学科を変わるという離れ業(?)をやってのけましたが、素粒子論という非常にマニアックなことを研究しておりました。当時は超弦理論が流行っていたように思いますが、今となってはさっぱりわかりません。もちろん社会の役に立つわけでも何でもなく、オーバードクターの悲惨な現実を目の当たりにして研究者の道は早々にあきらめ、民間企業への就職の道を選びました。

そして1991年、まさにバブルの絶頂期にシャープ(株)に入社しました。当時は希望すればどこでも入社でき、売り手市場は今と状況がよく似ているかもしれません。入社した頃は希望が叶って意気揚々でしたが、配属されて一年も経つと何とも言えない居心地の悪さを感じ始めていました。今でこそいろいろありましたが、世間では一応一流企業として通っていたはずです。しかし私には会社の悪い面しか見えませんでした。人を育てる気が全くなく目先の利益だけを追求する体質、部門間のくだらない対立、上意下達の企業風土など、次第に自分のいるべき場所ではないと感じ始めていました。

長引く不況の中で業績が悪くなると、会社の締め付けも厳しくなり、さらに居心地が悪くなります。福利厚生が削られ、残業代も出なくなります。好きな仕事ならともかく、嫌な仕事をさせられているのは人生の浪費とさえ思えました。入社から10年半我慢しましたが、もう理不尽な組織の論理にはついて行けず、これ以上会社にいても将来の展望が何もないことから2001年の秋、会社を辞める決断をしました。もちろん他の会社に転職したところで組織にいる限り同じような問題があることは明らかですから、初めからフリーランスになることを目指していました。

就職難の時代に何のアテもなく会社を飛び出したのは無謀としか言いようがありませんでした。普通は転職先を決めてから辞めるのでしょうが、本当に何もありませんでした。フリーランスでWeb業界に参入したいと思っても、ただのメーカー系社員に業界のコネなどあるはずもなく、仕事は何もありませんでした。どこへ行っても経験のない人は要りませんの一点張り。そして行き詰まったあげく再就職を考え、いくつか会社を当たってみましたが、すべて落とされました。気がつけば長期失業者の仲間入りです。

そのとき初めて全てを捨てようと思いました。過去のものは何も引きずらず、真っさらな状態から人生を再スタートすることを決意しました。そして独学でプログラミングを習得し、幸い常駐みたいな形で開発の仕事を請け負うことができました。これがプログラマーとしての第一歩です。

その後もいくつかの顧客から開発の案件を請け負いましたが、問題はどれも単発で後が続かないということです。別に何かやらかしたというわけではなく、ちゃんと仕事は完遂したのですが、なぜかその後声がかからない。フリーランスにとって定期的に仕事を発注してくれるお得意様を持つことが何よりも大切ですが、自分にはそれが欠けていました。

たまに単発で仕事は来るのですが、孫請けの孫請けみたいな低報酬・短納期の仕事が来たり、支払いを踏み倒されたり、結構悲惨な目に遭いました。そんな中、知り合いからのツテなのですが、ホームページ作成の講師をするという仕事が舞い込んできました。大勢の人の前で話すという機会は初めてだったのですが、それでも引き受けたところ結構評判が良くて、その後も3年くらいにわたっていくつかの講座を持つことになりました。しんどい面もありましたが、これはもしかしたら自分に向いているかもしれないと思いました。講師というのはそんなに単価は高くないですが、一定の期間必ず仕事があるので収入が安定している魅力があります。できればこれがずっと続いてほしいと思いました。

しかし、もともとピンチヒッター的な役割であったため、国からの補助金が打ち切られると講座も終了となり、講師の仕事もなくなりました。また無職に逆戻りです(笑)。そんな時、たまたま目に留まったソフトハウスの求人が気になり、ダメモトで応募してみたところ非正規という形ですが採用になりました。会社で働くというのは久しぶりのことですが、昔いた大企業と違って数人規模の小さな会社ですから、そのギャップはものすごく大きかったですね。何もかも新鮮でいろんな意味で刺激的な日々でした。それまで自分はプログラマーとしての実務経験がなかったので、開発の現場を体験できたということは大きかったですね。2年足らずという短い間でしたが、10年半にわたるシャープ時代よりもはるかに中身の濃い時間でした。

そこを辞めたのはこれ以上学ぶものはないと感じたからです。後はこの経験を生かしてフリーランスでやっていこうと考えました。それと前後して別のプロジェクトが立ち上がっており、自分もそこに参画して独自のソフトウェアを開発することになりました。以後7年間にわたっていろんな面で事業をサポートし良好な関係を保ってきましたが、ついに2017年、急激な環境の変化によって取引先が廃業、また仕事がなくなりました。いつもうまく行きそうになったら終わってしまう。自分の人生はなぜこれほどまでに呪われているのかと思います。

フリーランスにとって複数の収入源を持つということは鉄則ですが、自分にはそれがありませんでした。唯一の取引先が廃業したことで収入は激減、独自開発のソフトウェアとWebサイトの運用益だけで細々と暮らすことになりました。その後、新たな取引先は現れておらず、開発業務はずっと止まったままになっています。

やはり受注産業というものは客先あっての商売ですから、複数の顧客を確保できなければ必ず不安定になるのです。そこで発想を転換して、自ら需要を生み出すという方向へシフトしました。それはコンテンツ販売によるストックビジネスという考え方です。受託開発と違って即効的な利益はありませんが、長期間にわたって売れ続ければ継続的に収入があり、しかも自分の時間は一切失われないという利点があります。手始めに楽譜のオンライン販売を始めました。まだ売上は大したことありませんが、良いものを作れば売れるという手応えは感じています。

これからもWebサイトを活用して有益な情報を発信し、新たな価値を創造していくこと、自分にできることはそれしかないと思っています。フリーランスは片道切符ですから、二度と会社員に戻ることはできません。時間と場所にとらわれないフリーランスという生き方の理想を実現するため、失敗を恐れず常に新しいことにチャレンジしていきたいと思います。会社を辞めるときに過去はすべて捨ててきたのですから、自分にはもう失うものは何もないのです。

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投稿日:2012年4月17日 更新日:

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